2013年10月8日火曜日

本物の「ゼロ戦」を訪ねて(その4 エンジン)


「キラフテ 木の靴べら専門店」 店主の宮原です。


では最後に「エンジン」のご紹介です。

手前の部品は「プロペラ」です。






「零戦」のエンジンは、「星形エンジン」と呼ばれる形で、
7つのシリンダーを円形に並べ、それを二つに重ねた「14気筒(多い!)」。

今の乗用車の標準的な気筒数が「4気筒」ですから、相当多いですね。
冷却方法は、空気で冷やす「空冷」方式です。

*ちなみに今の乗用車は、水を循環させて冷やす「水冷」方式がほとんど。


エンジンの排気量は、なんと27900ccありました。
「2000cc乗用車」の14台分・・・でもエンジン出力は「1130馬力」。  

現在の車と比較すると
「ホンダ ステップワゴン」 2000cc  = 150馬力、
27900ccに換算すると=「2100馬力」

零戦は「1130馬力」ですから、約半分の出力しかないですね。
*もちろん単純には比較できないので、あくまでも参考に。


当時の日本のエンジンの出力は世界水準以下の能力で、
この低出力のエンジン性能を補うために、防弾装備すら削り、
徹底した軽量化と、空気抵抗の軽減が図られたわけです。

プロペラシャフトの先端だけでも
こんなに複雑な工作が・・・



シリンダーが前後に、かつ
ずらして並んでいるのがわかります。



シリンダーブロック。
これ一個で2000cc乗用車一台分の排気量!



戦闘機に「空冷エンジン」、

メリットは
  ・構造が簡単で軽量。
 ・エンジンが被弾しても「水漏れ」がなく、そのまま飛行できる率が高い。

 
デメリットは
 ・星形シリンダーゆえ、機首が大きくなり、空気抵抗が増える。
 ・エンジン全体に風が当たらないと冷却できない。 

というものです。



これに対して当時の欧米の最新鋭の戦闘機には
「水冷エンジン」が多く採用されています。

メリットは
 ・ラジエーター部分だけに空気が当たればエンジンが冷却できる。
 ・シリンダーを縦長に配置くできる。=機首が細く、空気抵抗が減る。

 
デメリットは
 ・部品点数が増え、構造が複雑になり、重量が増える。
 ・エンジン被弾による「水漏れ」で、エンジン全体が冷却できなくなる。


というものです。

戦闘機を高速化には「水冷」方式が向いています。





水冷エンジンは、基本的にシリンダーを円形でなく縦長に並べていくので、
エンジンシャフト(プロペラシャフトを兼ねる)が空冷星型エンジンに比べて
ずっと長くなります。

欧米では、長いエンジンシャフトを何ら問題なく精度高く製造できましたが、
当時の日本では、長くなったエンジンシャフトの精度を出すことが出来ず
エンジンを廻すと、ものすごい振動を起こしてしまったそうです。


実際、日本軍も「水冷戦闘機」を開発、正式採用しますが、
機体はとっくに完成していても、肝心のエンジンが出来上がらず、
「首なし」飛行機が、ずらっと並んでいたそうです。


また、何とか完成させ、戦地に送り出したものの、故障が頻発し、
保有する機体の半数しか出撃できないほど、信頼性が低かったようです。


のちに、このトラブルが多い「水冷エンジン」の搭載をあきらめ、
「空冷星型エンジン」を載せてみると、最高速度こそ大きく落ちましたが、
故障がなく信頼性と運動性能が抜群に良くなり、米軍の最新鋭機と互角に
戦えるほどの戦闘機に生まれ変わったそうです。


それほど日本は「水冷エンジン」の生産に苦慮しており、
自ずとこの「空冷エンジン」が主流になったのです。






シリンダーフィン。ここに空気が通って熱を奪います。
このフィンの厚みが薄く、その間隔(ピッチ)が狭いほど
冷却性能が高くなります。



長いエンジンシャフトが必要な「水冷エンジン」の製造では、
欧米に大きく劣っていた当時の日本工業力でしたが、
「空冷エンジン」のシリンダーフィンの製造技術は非常に高く、
「薄いフィン」を「非常に狭いピッチ」でつくる技術を持っていました。

「技術力」というより「職人の技量の高さ」といえなくはないですが・・・


このように「零戦」は、当時の日本の低い工業力(アメリカの1/10)を
知恵と工夫と職人技を結集して、ようやく実現できた戦闘機だったのです。


しかし米軍の手で次第に零戦の弱点が暴かれ、対応策が取られ始めました。
さらに2000馬力級の強力なエンジンと、鉄壁の防御を誇る米軍新型戦闘機が
次々と登場し、零戦の優位性は無くなっていきます。

日本も新型戦闘機の開発を進めますが、資材不足とエンジン開発の遅れから
この零戦をマイナーチェンジしながら使い続けることとなってしまいます。


そして最後は特攻機として使われます。

本当に悲しい末路です。

割れたクラッチケース・・・
何か訴えてるように感じるのは私だけではないはず。



「大刀洗平和記念館」では、「零戦」のみが撮影許可となっており、
その画像をもとに、浅い知識にも関わらず書かせていただきました。
しかし「大刀洗平和記念館」における「零戦」展示はあくまでも一部です。



館内には当時のパイロットの装備品や衣装をはじめ、出陣を迎えて
その決意を記した旗、家族に書き記した手紙などが多数展示されています。
また慰霊の言葉とともに戦死された方々のお写真が飾られています。


旧陸軍大刀洗飛行場からは多く特攻機が出撃したそうですが、その搭乗員が
家族に向けた手紙に内容は、実にやさしく感謝にあふれたものでした。
これから死を覚悟した片道の出撃をする人が書いたとは思えないほどです。


また、この大刀洗飛行場めがけて空襲があり、集団で避難していた小学生たちに、
爆弾が集中してに落ちてしまったとのことです。
いたたまれない気持ちでいっぱいになります。


ちなみに記念館の天井には「B-29爆撃機」の実寸での大きさ表示があり、
まさに「超空の要塞」。これが数十機の編隊で飛来し、爆撃を開始したら
どれだけ恐ろしいことか・・・


近世の戦争が、昔の戦のように
「戦場で武将が合いまみえて勝敗を決す」
では終わらないことを、ひたすら実感しました。

 
この日は大変多くの方が来場しておりましたが、
私だけでなく皆さんもそれぞれいろんなことを感じているようでした。
お近くの方はぜひ一度見学されることをおすすめします。